なんとなく書く

思ったこと、感じたことを書いてみる

科学コミュニケーションが難しいのはしょうがない

昨日、科学者とのコミュニケーションが痛いわけを読んで、ちょっと触発されたので書こうかなと。

書いていることには結構同意できるところがある。

「科学的に正しい」ことが最優先ってのはその通り。分野によっては違うかもしれないけど僕が大学で学んでいた基礎研究は特にそう。なぜかといえば既にある未知なもの、減少の構造、仕組みなどを解明する分野だから。んでそれを応用して新しいものやサービスとかが生まれる。

 

んで個人的に科学コミュニケーションが難しいのはしょうがないと思う。特に原発関連など身を守りたいから科学的知識を知りたいという場合は。

1つ目はそもそも解明されていない問題について聞かれても正しいことは誰も言えないということ。例えば3塩基1アミノ酸のお話。1つのアミノ酸は3つの塩基の並び方によって決まります。んで塩基はA、T、G、Cの4種類あります。

つ まり4×4×4の64通りのパターンが存在するわけです。でも実際には20種類のアミノ酸しか精製されません。ほかの44種類はなぜうまれないのか?僕の 記憶が正しければまだ解明されていません。解明されてないことについて聞かれても正しいことなんて誰も言えず、どうしても憶測にしかなりません。

だからしょうがない。

 

2つ目は聞く側の知識、理解力の不足。

先ほど例に挙げた3塩基1アミノ酸の話を読んで人によって知ってる、理解できた、なんとなくわかった、わからないなど反応が様々です。当たり前ですけど、聞く側の知識や理解力はバラバラだと伝える側はとても苦労します。

原発の問題でも顕著に出てると思います。原発に関しては恐怖感もあり、冷静に理解しにくい状態になってると思います。

だからしょうがない。

 

3つ目は知識を持っている人がわかりやすく伝えられる能力の不足。

科学者は普段から専門用語を使ってコミュニケーションを取ってます。相手も前提となる知識はあるし、その知識がない人でも基本となる知識は持っているので、わりと簡単に伝わります。

でも、そういった知識を学んでない人には説明が難しいです。まず知識だけではなく、なぜそうなるのかといったことさえ理解してもらえないと、伝わらないからです。論理的に理解してもらえない。

また原発の話で申し訳ないですが、事故直後にテレビに出ていた東工大の先生の話が印象的でした。

「放射線でDNAが傷ついても妖精が直してくれる。」

一語一句間違いなくこういったってわけではないですが、こういう発言をしました。僕は生物学を専攻していたのでこの先生の言いたいことは理解できました。でも何も知らない人は頭に?マークがいっぱいだろうなと同時に思いました。

テレビだと短い時間で伝えなくちゃいけないので、まず安心してもらうためにこのような比喩を使ったと思いますが、正しく理解してもらうにはかなり時間がかかります。

お そらく、普段の生活の周りの科学知識を伝えるコミュニケーションは比喩を使えばわかった気でいてもらえるので特に問題はないですが、原発みたいに身の危険 がある場合にその科学知識を伝える場合は、聞く側はわかったつもりでは安心、満足できず、もっと詳しく聞きたがる。でもそれを伝えるとどうしても比喩だけ では無理で、データや専門用語が必要で複雑になるので、聞く側は途中で挫折する。

だからしょうがない。

 

というわけで科学コミュニケーションが難しいのはしょうがないのです。

個人的に岩崎夏海さんのTwitterは楽しみ

昨日から岩崎夏海さん(@huckleberry2008)がTwitterを始めたようで。

さっそくフォローして見てるけど、やっぱり面白いこと書くなぁ。すでに150ツイート超えてるのもすごいというか興味深い。作家さんだからなのかな。

 

僕はどう変わるのかってことに興味がある。

芸術家としての実験の場として使うみたいですが、正直芸術家という人はよく知らないけど、Twitterの刺激でどう変わるのかに興味魅かれてます。

ハックルベリーに会いに行くや著書がどう変わるのかってところを勝手に観察させていただきます。

もう放射能学力テストでもやったほうがいいんじゃないか?

togetterでまとめられていた「放射線殺菌したレバーを食べると内部被ばくする!」と主張するジャーナリストを読んだ。

正直読んでてひどいなぁと思った。特にジャーナリストの方。まあ放射能、放射線などややこしかったり、難しいところもあるのでわからなくはないけど、それでもひどいなぁと。

内容について書くと突っ込みどころが多いので省きますが、読んで思ったことを書こうかなと思います。内容を知りたい人は記事を見てください。

 

なんというか自分の興味を引いた内容だけ知って、あたかも詳しくなった気でいるなぁというのが正直な感想です。

小学生が足し算、引き算、掛け算、割り算をマスターして数学を理解したと勘違いしているような。それだけじゃ微分積分や数列とか解けませんからね。

んで、たちが悪いのは医師がそう言ってるという記事を見たと言ってること。

ツイート見る限り医師の方はそのようなことを言っておらず、勝手に拡大解釈してるだけなんだよね。

たぶんこの人は放射能、放射線とかごく一部の知識を得て勝手に勘違いしたんだと思います。

 

おそらくそういう人はたくさんいて(僕も含む)、知ったかしてる。知ったかしてるだけなら特に問題はないけど、アウトプットとかするから風評被害が拡大していく。

 

だから、僕は放射能についての学力テストでもして、あなたの知識、理解度はこの程度ですよという物差しを用意した方がいいと思いました。知識、理解度の偏り方もわかるようになりますし。

学校で学ぶことであればテストがあるので、知識や理解度を数値でチェックをすることが出来ますが、社会人となるとそういった機会はほぼないので、こういった残念な人が出てきます。知的な分野の仕事をしている素人の方とかにも見られます。

原発の問題がかなり大きくなってしまっているので、みんなに情報の共有や整理する機会を設けたほうがいいと思いました。

TEDは電子書籍でもトレンドセッターになるかを読んだ

TEDは電子書籍でもトレンドセッターになるかを読んだ。

TEDやりおったというのが素直な感想です。

 

以前、電子書籍の問題はカニバライゼーションのせいでは?で書きましたが、この記事を読んでいるとどうやらTEDは2011年にはすでに似たようなことを発売していたようで、僕の調査不足が露呈してしまいました。(笑)

 

正直TEDがこういう形で電子書籍に出てくるとは思いませんでした。

電子書籍の中で新しいポジショニングを取っており、楽天のkoboも比較的新しいポジショニングを取っているので、電子書籍が今後どうなるのか注視していきたいと思います。

原発問題について思うこと。

さきほどニュース見ていたら、原発依存率の聴衆会が行われたようだ。エネルギー政策の決定をするために国民から意見を聞こうとしているらしい。

 

 

んで原発関連の話で僕はいつも気になることがある。

1つ目は参加している人の事前知識について。

おそらく原発の危険性はある程度知識を持っていると思う。

で は、なぜ原発が選ばれたのかという歴史的背景をしっている人はどれくらいいるのか?電気がなくなることにより、経済的デメリット、主に雇用や生活の変化な どどういった影響がでるのか理解している人はどれくらいいるのだろうか?自然エネルギーの発電量はどれくらいまかなうことができるのか?鳩山政権時に CO2の25パーセント削減を国際公約した事実をどれくらい把握していて、それがどれだけ難しいのか?などはどうなのか。

 

意 見表明をしたいという人は100人近くいたそうだが、その人たちはどの程度の知識量を持ったうえでどういった意見を表明するのかが気になるということ。僕 は知識がないと議論に参加してはいけないといいたいわけでなく、相手の言いたいことを理解するには相手の知識、ロジックを知らなければ、深い理解を得られ ることはないと考えているからだ。

なので原発についてのテストを実施して、どれくらい把握しているのかってことを知りたい。

 

2つ目は代替エネルギーはどうなってるのかといこと。

自 然エネルギーでいえば太陽光エネルギー、風力などがよく取り上げられているが、これら自然エネルギーは発電量を調整できない。エネルギーを安定的に得るに は心もとないところがある。大規模な蓄電技術(1、2日分の蓄電能力では足りないと思う。)があれば問題はないかもしれないが、僕が知る限りない。

新たなエネルギーが生まれるという人もいるかもしれないけど、その研究にどれくらいの期間が必要なのか大体で構わないから知りたい。

火 力は論外だと思う。CO2削減の公約達成が難しくなることと、リスクヘッジの問題があるからだ。石炭火力発電、石油火力発電はおおよそ原発の40倍近い CO2が発生する。また、石油または石炭の輸出国が内紛やなんらかの国際問題に陥った時に、安定的に供給することが出来なくなる。もし、発電を火力に大き く依存していたら、日本は以前行われた計画停電や節電の非ではない苦労を強いられることになる。

 

 

議論をするのは大切ですが、どういった議論をするかストーリーを各種提示してほしいと思う。ストーリーを示すのはリスクがあるのはわかるが。。

嫌いな言葉

「好きの反対は嫌いではない。無関心だ」って言葉があります。

人間関係に悩んでいる人に使われる言葉だと認識しています。

 

僕は嫌いな言葉です。

理由はロジックがおかしいことと嫌いでいられるよりは無関心でいてもらったほうが楽だからです。

ロジックについては、簡単に言うと好きも嫌いも共に関心を持っているからこそ起きる感情だからです。無関心であれば、好きも嫌いも成り立ちません。

もし、好きの反対は嫌いというロジックが成り立つなら、(ごはんが)おいしいの反対は無関心や(絵が)うまいの反対は無関心という風になんでもなりたってしまいます。好きも嫌いも、上手も下手もすべて関心があるから生まれる感情・思考です。

 

また、たとえばいじめを受けてる人にこの言葉を言えるかどうか。

僕は絶対に言えません。そんなことで現在受けている肉体的ダメージや精神的ダメージをなくすことはできませんし、いじめてくれてありがとうと言ってるようにさえ見える。

 

僕はこの言葉は無責任な言葉だと思います。悩んでいる人の話をしっかりと聞く必要はないし、どうすればいいのか考えることを放棄できますから。

そんな言葉を贈るくらいなら、人間関係を改善できるようにどう行動をするかや、相手を気に留めないようにといった言葉を贈った方がいいです。できれば具体的に。

もちろん自分の発言にしっかりと責任を持ってね。

 

なので、僕はこの言葉が大っ嫌いです。

コミュニケーションについて思うこと。

ダイアリーをインポートしたり解除したり機能の確認とかしてたら、ブログのほうは10日以上書いてなっかったことに気付いた。。ちゃんと書こう。。

 

んで、急ですが、コミュ力ってなんだよといつも思おう。
皆適当すぎて、コミュ力なるものがわからなくなる。

 

まず、コミュニケーションについて。

僕はコミュニケーションは大きく分けると会議型と雑談型があると思ってる。
この2つの大きな違いは相手の言っていることを理解する必要があるかないかだと思う。
雑談型では必ずしも理解する必要はなく、共感さえできればいいとさえ思う。なぜ理解する必要がないかといえば、コミュニケーションを取ること(人との接触を増やして)でストレス解消やモチベーション上昇や仲良くなるなどの目的や効用があるからだ。

会議型は理解が必須になってくる。なぜかといえば、コミュニケーションを取る目的は、ある行動をしてほしいから。そのためにはなぜやるのか、いつやるのか、どうやるのかなどしっかりと理解をしないと目的に沿った行動はとれなくなり、無駄な努力で終わることが多くなる。そうなったらコミュニケーションを取る意味がない。

んで、なぜか会議型のコミュニケーションが必要な場であるにも関わらず、しっかり理解しようとする人が少ないし、理解するためにちょっとつっこんだ質問をすると空気読めみたいな目で見てくる。あとあと苦労するだけなのに。。
この現象はいったいなんだろうか。

 


あと、数は少ないけどコミュニケーションするとき、めちゃくちゃ横暴な人もたまにいる。
コミュニケーションをキャッチボールで例えられることが多いので、それになぞって説明すると、自分が投げる時、暴投してもキャッチできないと相手を怒るくせに、自分がキャッチするときはグローブを胸の位置から一切離さない。ボール一つ分のずれでもキャッチしようとせず、相手を怒る。
評論家気取りの人や、自称優秀な人に見かけるタイプ。

 

 

簡単にまとめるとコミュ力は共感力と理解力をうまく使い分けること。これさえできればいい聞き役になれる。あとは表現力を身につければ最強のコミュ力になる。

僕自身コミュニケーションはそこまで上手ではないけど、もう少し意識してコミュニケーションを取ってほしいなぁと思う今日この頃。